K.G.

Dialogue contents

初等部で生まれる“対話”に耳を傾けよう

episode01

「 遠くて身近な江田島の海。あの日の風景から考えた、水産業のこと 」

Prologue

海一面に広がる牡蠣筏(いかだ)と、温かく迎えてくれた地域の方々。
子どもたちが民泊でお世話になった思い出の地「江田島」では、
海水温の上昇や「海がきれいになりすぎている」ことによる牡蠣の深刻な危機が起きていた。

どうすれば、温暖化と「きれいすぎる海」から牡蠣を守れる?

初等部では、教員が独自に研究を重ね、目の前の子どもたちの実態や経験に即した授業を行っている。遠くの出来事を単なる知識として終わらせず、自らの経験と結びつけて捉えさせるためだ。
そんな初等部ならではの学びを象徴するのが、5年生の社会科「食料生産」における水産業の授業である。

5年生は毎年、平和学習の一環として広島を訪れ、江田島での民泊体験を行う。
現地の方々との交流や、象徴的な海に浮かぶ牡蠣筏の風景は、子どもたちの心に深く残る。ある社会科の教員は、この実体験を生かして学びへの当事者意識を高めようと、一つの授業を組み立てた。
江田島でお世話になった方々が、主要産業である牡蠣の養殖でどのような課題を抱え、どう解決に挑んでいるのか。子どもたちは教室の中で、そのリアルな姿と向き合っていく。

江田島の牡蠣養殖が直面している「大量死」や「身の小型化」。その原因は、温暖化による海水温の上昇だけではない。
下水処理技術の向上によって水が綺麗になりすぎた結果、窒素やリンが減少し、牡蠣の餌となるプランクトンが不足していたのだ。
これらに対応するべく、現場では水温変化に合わせた筏の移動や、山での植樹活動が展開されている。さらに広島県では、下水処理水に含まれる窒素やリンの濃度を意図的に高める実証試験にも取り組んでいる。
こうした事実を知った子どもたちは、自然と下水処理の「能動的運転管理」の是非について議論を始めた——

“周りに住んでいる人は、嫌な気持ちになるかもしれない”

“でも適量なら、プランクトンが食べてくれるから問題ないはず”

“やりすぎて、また昔みたいに赤潮が出たらどうするの?”

“海水浴場のイメージが悪くなって、人が来なくなるかも”

“牡蠣の収穫量がなくなって生活ができなくなったら本末転倒だよ”

“慎重になりつつ、新しいやり方を採用したらどうかな”

人間にとって心地よいきれいさと、 海の生きものが求める豊かさはちがう。

地域住民の気持ちや環境保護への懸念、そして養殖業者の暮らしや地場産業を守りたい思い。双方の立場に寄り添うからこそ、簡単な二項対立で終わらせることはできない。
きれいな海を守ることと、豊かな海を育てること——。
子どもたちは互いの意見に耳を傾け、葛藤しながらも、双方の願いを叶える「適正なバランス」とは何かを模索し、熱い対話を深めていった。
議論を重ねた子どもたちは、江田島で実際に牡蠣養殖を営む生産者の方とオンラインで直接対話する機会を得た。教室での議論で生じた疑問や膨らんだ思いを、次々と生産者の方へ投げかけていく。

江田島の牡蠣業者の方のある言葉が、
子どもたちの心に強く残った。

「きれいな海と豊かな海は
一緒ではない」

「きれいな海と豊かな海は一緒ではない」という一言は、子どもたちの固定観念を大きく揺さぶった。目に見えない海の「豊かさ」を守ることの難しさと大切さ。生産者の真っ直ぐな言葉が、子どもたちの胸に深く刻み込まれた。

”自分ごと”として捉える
授業の意義

正解が一つではない問いに向き合い、異なる立場に寄り添いながら議論を深めた子どもたち。さらにオンラインで生産者の生の声に触れ、現場のリアリティを感じ取ったことで、遠く離れた江田島の課題は、子どもたち自身にとっての「自分ごとの問い」へと変わっていった。
取り巻く現実を知り、疑問を持ち、自らの言葉で対話を重ねていく。
単なる知識の習得にとどまらず、多面的・多角的に社会を捉えて問い続けるこの学びの実践は、これからの時代を生きる子どもたちにとって、かけがえのない探究の場となった。