上杉鷹山 「なせば成る。なさねば成らぬ何事も」
“Mastery for Service”
“幼子はたくましく育ち、
知恵に満ち、
神の恵みに包まれていた”
みなさん、江戸時代中期米沢藩第9代藩主であった上杉鷹山(うえすぎようざん)をご存じでしょうか?鷹山の上杉米沢藩はかつて倒産寸前の会社でした。領地を江戸幕府へ返上しようかというほど財政が逼迫していました。その財政再建を行い米沢藩が立ち直り、ケネディアメリカ合衆国元大統領に「最も尊敬する日本の政治家」と言わしめたほどの殿様です。
彼の財政再建は有名ですが、実は鷹山は福祉政策や老人対策にも力を入れたのです。ここからは、童門冬二著「小説 上杉鷹山」に書かれていたことです。
彼の正室幸姫(よしひめ)は、カリエスを患い、体の動きも不自由で、脳の発育も子どものままで止まっていました。10歳にも満たぬ幼女同然の体だったそうです。家臣は「側室をお持ちください。」と言いましたが、鷹山は「幸姫は天女だ、天女を裏切ってはならぬ。」と断ったそうです。幸姫は自分に優しくしてくれる者は無批判・無条件に信じましたし、人間の世の汚れを全く知りませんでした。鷹山は「生涯をこの姫のそばで送ろう。」と決心しました。鷹山は鶴を折ることや人形を縫うことを覚えました。幸姫もそれに答えるかのように、父が買い与える高価な調度や玩具より、鷹山の手作りを好みました。ある日、鷹山が人形を縫い、のっぺらぼうのままにしておきました。翌日、幸姫が鷹山の手を取り、自室の奥に導きました。そこには、口や目、鼻が描かれた人形が置いてあったのです。幸姫が描いたものでした。そしてそれを「ヨシ、ヨシ」と言い、自分だと主張したのです。鷹山も「これは幸姫そっくりですよ。」と返しています。この出来事は、その人が持っている能力や隠れている才能を引き出すということと同じではないでしょうか。鷹山は意図的にこのようなことを行っていたのです。こうした妻に対する愛情には頭が下がります。結婚されている男性の方々、妻に対して「愛」はありますか?私?私はもちろんあります・・・・!?
鷹山は当時では考えられないような福祉政策を実行しています。彼は熟慮と協議を重ね、育児資金を創りだし、窮民へ与えました(児童手当のようなもの)。90歳以上の者には亡くなるまで食べていけるというお金を与え、70歳以上の者は村が責任を持って労り、世話をするようにしました。また、老人を大切に労る孝行を褒賞するとともに実践しました。障害のある人や歳をとって働けない人は邪魔者あつかいされていた時代において、鷹山は「民の父母」という深い自覚と責任と、深い人間愛からくる人々への限りない愛情と真心で接したのでした。現代社会は制度的には江戸時代よりはるかに恵まれています。でも、心はどうでしょう?障害を持っている人やマイノリティの人たちにとって、本当に今の社会は生きやすいでしょうか?バリアフリーやノーマライゼーションなどことばだけが先行していないでしょうか?
上杉鷹山といえば財政再建という経済的な手法ばかりクローズアップされますが、本当に学ぶべきは彼の人柄であり、精神であると思います。幸姫への愛、そして民への愛と信頼、これこそ子どもたちへ私たちが伝えなければならない最も大切なことと考えます。